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2009城北高演劇部夏公演「いるか旅館の夏」口上

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2009年 9月 3日(木)14時02分58秒
   舞台はコワイ

 舞台はあなどれない。そこは、ウソをつこうと思えば思うほど、見透かされてしまう場所である。
 昔のことだが、ご飯を食べる場面で「いただきます」のセリフ一言を、どうしても言えない生徒がいた。僕はその生徒に聞いた。「普段の生活で、いただきますって言ってるか」「言ってません」。
 身体は正直だ。ふだん使っていない言葉は、たとえ「いただきます」の一言ですら、舞台で言えなかったりする。ときにそれが、白日の下にさらされる。つくづく役者は大変だと思う。

 よく、役になりきる、などと言われるが、厳密な意味で「なりきる」ことなどできるのか。不可能だと思う。「なりきる」ということは、自分を消すことである。たとえ憑かれたように演じる役者がいて、我を忘れて演技をしたところで、身体はウソをつけない。役のために扮装しても、たとえ10キロ減量したとしても、身体は役者自身である。自身の身体を別人の身体に変えることは、タヌキやキツネでない限り、不可能だ。
 むしろ、すぐれた役者は、自分の魅力的な部分に役柄をひきつける。魅力的な声を持つ役者は、魅力的な声が際立つように演じるし、表情の魅力的な役者は、その表情が際立つように演じてみせる。また、スターと呼ばれる人たちは、どんな役を演じていても、魅力的な素の自分が見えるように演じる。キムタクは、どんな映画やドラマでもキムタクだ。
 逆に言うと、魅力的な人物でないと、魅力的に演じることはできない。
 表面をどう取り繕うかが問題ではない。役者に求められるのは、深いところから、いかに魅力的な存在になるかということだ。「演じる」ことに必要なのは、成長であり、人間的鍛練なのである。

 しかし、高校生は、まだまだ未完成でつたない。未完成だからこそ、演劇部員は憑かれたように稽古に取り組む。「これでいいや」とはならない。それは、おそらく、舞台が楽しい場所であると同時に、コワイ場所であることを、実感しているからだろう。一筋縄ではいかない。ナメたら手痛いしっぺがえしを食らう。彼らは、すでにそのことを知っているからだろう。

 5月、「楽しい芝居がしたい。笑わせる芝居がしたい」と無邪気に言った。そして選んだのが、この「いるか旅館の夏」。しかし、笑わせる芝居がいかに難しいか。彼らは身を持って実感したと思う。舞台をなめたらアカン。こなすには、もっともっと人間的に成長しないとダメだ、時間は限られているゾ。顧問からは、そんなメッセージを送り続けた4カ月だった。
 「いるか旅館の夏」には、未熟さと、成長の刻印が混在している。そのアンバランスこそが、まさに、彼らの今の姿である。そして、彼らの「いま」が刻みつけられたこの瞬間は、変わっていく過程の連続である。
 近い将来、サナギが蝶に変わるように、彼らは変貌していくのだろう。それが予感されるから、同じ時を歩めない私は、せめて今の彼らの姿を瞳の奥に刻みつけておこうと思う。演劇が風に書かれた文字ならば、それに没頭する部員たちの夏もまた、二度と帰らない、一回性の瞬間である。帰らないがゆえに、その瞬間は、愛しくそして美しい。
 そういうわけで、彼らなりの、ひと夏の落とし前を、ぜひ目撃してほしいと思っている。どうかよろしくお願いします。

 古田 彰信
 

豚インフルエンザと集団ヒステリー

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2009年 5月18日(月)19時15分26秒
編集済
   なるほど。そうなのか。僕は深くうなずく。下のURLに続くいくつかのエントリーを見て、心を強くする。
 http://www.creative.co.jp/top/main3681.html
今回の騒動で、誰が権力に迎合的か、誰がアホか、
よーくわかった。結局皆、責任回避のことだけ考えて、
「もしものことがあったら」「安全第一」の大合唱。
上から下まで飼い馴らされて、
有事体制、国民統制への一歩であるという
問題意識すらカケラもなく、
「もし患者が本校から出たら」「クラスから出たら」と
保身のことだけ考えてびくびくしている。
まさに地獄への道は善意で敷き詰められている。
 

同じく一本

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2009年 5月12日(火)10時11分22秒
  同じく投稿用。古田にしては、物言いがまわりくどい(笑)。


 修学旅行中止は神経質すぎないか

 新型インフルエンザによる修学旅行の延期・中止の話を聞いて、ゆううつな気分になる。
 今、国民の不安は、最大限にまで煽られている。「安全第一」という声に誰も抗えない。
 県教委は、すでに出発した修学旅行団に対し、マスク着用などを励行するように求めたという。しかし、修学旅行団が、全員マスクを着用していたとしたら、これほど不気味な光景はないだろう。そこまで、人を統制すべきではないと僕は思う。
 もちろん、備えを怠ってはならない。しかし、修学旅行に行かなかったとしても、絶対安全な場所などないのだ。
 日本全国で、交通事故による死者の数は、6000人にものぼる。風呂で死ぬ人に至っては、年間なんと14000人。それでも人は道を歩くし、風呂に入る。
 生きていくにはリスクはある。
 それを思えば、まだ発症も確認されていない場所への国内修学旅行まで、中止や延期にしてしまうのは、神経質にすぎると思う。
 なにより子どもは楽しみにしていたはずだ。そして、キャンセル代を払うのは県教委ではなく、当の保護者である。
 学校は保護者とよく話し合ったうえで、結論を出すべきだ。
 

徳島新聞に投稿2本

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2009年 5月 7日(木)18時08分3秒
   気が向いたので投稿欄に投稿してみた(笑)。



 クルマ優遇の経済政策に疑問

 政府の追加経済政策で、クルマの買い替えに補助が出るという。
 十三年以上たったクルマを低燃費車に買い替える場合、約四十万円の大盤振る舞い。マイカーの買い替えを検討している一部の人にとっては朗報だろうが、個人的には、どうにもすっきりしない。
 それは、その財源が、三年後の消費税アップ分だからだ。今以上に「広く」国民に負担を求めるというのに、クルマを買う者だけが極端に得をするのでは、不公平に過ぎる。
 おまけに、高速道路の通行料金は、ETC利用ならは休日上限千円だ。自動車ユーザーは嬉しくて涙が出そうだ。しかし、マイカーで遠出を煽りながら、一方でエコカーの購入補助というのも変な話。むしろ自転車や通勤通学定期券の購入に助成した方が、よほどエコだし筋が通る。
 そもそも、クルマの運転をしない人にとっては、こうした優遇措置は、無縁のものでしかない。
 使途を細かく決めて助成と減税を個々人に実行する以上、政府の配分はフェアでなければならない。自動車業界に手厚すぎる。僕は自分の納める消費税アップ分が、誰かのハイブリッドカーの購入補助に使われるのは嫌だ。これなら定額給付金や減税の方がまだましだ。


 追加経済政策の教育支援に疑問

 追加経済政策として、全国の小中学校に「電子黒板」が配られるのだという。
 予算は四千億。財源は、三年後の消費税アップ分。今以上に「広く」国民に負担を求めるのだから、最大公約数の国民に納得いく形で、バランス良く配分するのが筋だろう。
 しかし、教育支援として見る限り、今回の電子黒板の配布は、無駄な事業に思えてならない。電子黒板は「なくてもいいもの」だからだ。
 地方の疲弊とともに、真に必要なものも買えなくて困っている学校も多い。各学校の優先順位にしたがって、使途を選別せずに、必要なものを買えるようにできないものか。
 熊本県玉名市では、地域活性化・生活対策臨時交付金をもとに、学校の備品購入費として、市内の二十七の公立学校に百万づつ配るという。こういう柔軟な予算措置の方が、学校としては望ましいのではないか。
 一千億かけての学校への太陽光発電の設置もそうだが、教育支援と宣伝される政策が、本当は一部の電機機器メーカーへの、あからさまな製造振興対策に過ぎないとしたら、それはとても貧しいカネの使い方だと僕は思う。
 

正しく挫折するためのレッスン

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 8月28日(木)06時58分26秒
   城北高校演劇部の、秋に向けての新作の口上です。


 原始、若者は理想主義的だった。

 たとえば、社会主義というのは、まさに理想主義のイデオロギーだろう。「人は平等でなければならぬ」という真理のもと、実現できるかどうかもわからない政治制度やシステムの構築にむけて、若者は連帯し、団結し、社会運動に突き進んだ。無謀に突き進んだからこそ、彼らの多くは挫折した。60年代の学生運動は、まさにそれだったろう。

 僕は今40代なかばで、「遅れてきた世代」だから、60年代に青春を燃焼した人たちが、とてもうらやましく感じた。その挫折しているサマもまた、かっこよかったからだ。

 挫折は、とても前向きな行動だ。今の社会では、夢を持つことは推奨され、煽られるが、正しい挫折の仕方を学ぶことはできない。理想主義的に生き、夢に走ったオトシマエを、どうつけるのか、ほとんどの人たちは知らない。だから、人は、理想主義的に生きること自体を放棄する。とても残念なことだろうと、僕は思う。

 今、秋に向けてつくっているこの芝居は、正しい挫折を学ぶためのロールプレイであり、レッスンである。そんなつもりで作りました。

 また、この芝居は、城北高校演劇部、初の(?)恋愛ドラマにして、初のラブシーンのある(!)、スキャンダラスでセンセーショナル、エキサイティングな作品です。

 でもヘタクソでごめんなさい。コモンとしては「お楽しみください」なんて、口が裂けても言えないや。
                               古田 彰信
 

お気遣いありがとうございます。

 投稿者:サイトウ  投稿日:2008年 8月 3日(日)03時23分21秒
  りえさん、ありがとうございます。
冬用の制服など取り出せた物も多数あり、
現在は学用品に困ることなく、引っ越し先で暮らしています。
自然災害はいつ起こるかわからないし、恐ろしいですね。

さて大変遅くなりましたが、最近の演劇部の活動をお知らせいたします。
今年は、な、な、なんと1年生が9人も入部しました。
4、5月は発声やDVDでの演劇鑑賞、6月は台本読みや生の演劇鑑賞。
そして7月の定期考査明けからは、エチュードをしながら、上演したい題材を決め、
Aチーム、Bチームの2班に分けて文化祭に向けての台本製作に取りかかっております。
夏休みも補習のある日は昼から、ない日は朝から研修会館で練習しております。
実は、顧問の私は夏休みにまともに練習するのは教員になって初めてなのです。
本校1年目は耐震工事、2年目は部員がおらず、前任校では遠方の生徒が多くて
出来ず(汽車賃も高いので)、講師の時は採用試験があり…といった具合で
講師時代を含むとかれこれ10年ほど学校現場におりますが、本当に初めてなのです。
演劇部の顧問を続けていて良かったです。
練習内容は最初の1時間程は、腹筋や柔軟運動、発声、ストップモーション、
5分間ランニングなどをして体を動かしています。
(私もダイエットのため参加していますが、一番運動音痴です。)
先日は3年生が来てくれたので運動神経の良い3人はバック転の練習もしました。
それから台本製作です。一応今週が完成予定なのですが…。
そして、今週末は群馬県桐生市で行われる全国大会を観劇に行きます。
10年かかってやっと演劇部らしい夏休みなので
なんとか秋の大会に活かしていきたいです。
また徳島に里帰りされた時は遊びに来てください。

                                                                   サイトウ
追伸:ムギのフウコちゃんは受験生でがんばっていますよ。
 

チェルフィッチュ「フリータイム」

 投稿者:よしのりえ  投稿日:2008年 7月13日(日)23時13分58秒
  大雨、大変でしたね。
一年生の方は、体は大丈夫だったのでしょうか。
何かできることがあればよいのですが。
高校を卒業して、引越しをしたこともあり、制服も体操服(緑で、しかもたぶん型がいっこ古めなのであってもダメかも)も見当たらずでした。
力になれなくてすみません。
他の事で、力になれそうことがありましたら、何かありましたら、またメールに連絡ください。

さて、久々に興味ある舞台を見ることができました。
テレビでですが、チェルフィッチュ「フリータイム」です。

主人から電話があり、ぜひ見ろとのことだったので、テレビをつけるとやっていました。

しかし、レベルが高い舞台でした。

”声のテンションは非常にナチュラルなのに対して、体のテンションは非常に高く、緊張している。”
ここまで表現するのに訓練をどれだけ積んだんだろうって思いました。
”体は、何かに対してこわばっているのに、気持ちはそれとは反対で非常に余裕がある。”
そういう印象を受けました。
どうやらファミレスの中が舞台なんだけど、いすやテーブルが半分以上沈んでて、テーブルはがたがたで、そのテーブルに乗ってぐらつかせたりするのに、また体がこわばっているんだけど、それでも言葉はすらすらで・・・・・・。
不思議な空間を見たようで、奇妙な時間を過ごしたようで、非常に演劇的でした。
単に、ナチュラルであるということを超えたようなそういう舞台。

わたしたちは、『海と日傘』や『白の揺れる場所』で、身体や言葉がいかにナチュラルになるかという訓練をしてきました。
むずかしいのだけれども、声がナチュラルに出ると体もついてくるし、体がナチュラルになると声もだんだんと日常にもどっていくというふうに思います。
しかし、「フリータイム」は、それを逆に組み合わせることで、身体表現の極地まで達したように感じました。
あの奇妙な経験は、なかなかできるものではないでしょう。
人々の関係性もトーンの違いに奇妙を感じ、なんとも気持ち悪く、優れた舞台でした。

とにかく、説明できないので、見てください。
有名な人が批評を書いているのを発見したので、そのページを載せておきます。

http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=807

とにかく、見てください。
 

OGの方にお願い

 投稿者:サイトウ  投稿日:2008年 6月29日(日)21時55分24秒
  掲示板の方に書き込めないので、こちらに記させていただきます。

今年入部した1年生の自宅が本日未明、
土砂崩れで全壊に近い状況になりました。
本人と家族は無事ですが、教科書、制服など瓦礫の下で
取り出せない状況らしいです。
もしOGの方でトミニシの制服、体操服(赤)などを
譲ってくださってもよいという方が
いらっしゃいましたら顧問サイトウまでご連絡ください。
よろしくお願いします。

ayaya-sai@ezweb.ne.jp
 

インディ4補遺

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 6月24日(火)19時55分57秒
   「インディ・ジョーンズ」というのは、単身者の物語なんだな。
 彼は結婚もせずに冒険三昧。しかし、考古学者のインディを演じているハリソン・フォードは、実は齢66歳。普通ならとっくに引退している。冒険なんて、いい年をしたジジイが体張ってやることじゃない、オレは何してるんだ、などと思わないと、さすがにおかしい年齢だろう。ジジイになっても、老体にムチうって頑張っている4作目のインディの姿に、僕は最初とまどいを覚えたのだった。

 しかし、中盤から、監督スピルバーグの言いたいことが少しずつ見えてくる。物語は、南米の宇宙人が作った古代都市に、宇宙人の骸骨を「戻しに行く」。その冒険の過程で、かつての恋人や息子が、彼の回りに「戻って」くる。つまり、この映画、クラシカルな冒険活劇の装いを持ちながら、実は「家族再生の物語」なのだ。インディという、冒険でしか自分のアイデンティティを確認することができない珍種の男の元へ、冒険好きでタフな珍種の元恋人と、ふたりの血をひいた貴種の息子が「戻って」くる物語なのだ。餅は餅屋。冒険家には冒険家。収まるべき鞘におさまる。彼らは、極めて特殊な家族だが、この家族でなら、普通の家族の枠に収まりきらなかったインディも、やっと幸せになれることだろう。
 だから、この映画のラストシーンは、インディの結婚式なのである。

 スピルバーグは、父子関係、家族関係をテーマに据えた作品をたくさん作っている。「インディ4」も例外ではない。
 「インディ・ジョーンズ」前3作は、ウェルメイドで痛快無比の作品だった。しかし、スピルバーグは、前3作のときのような、ひたすら面白いだけのエンタテインメントを撮ることには、もうそれほど興味がないように見える。そうした姿勢が、娯楽作品を求める人たちには、凡庸だと映るのかも知れない。
 

ほどける双子

 投稿者:よしのりえ  投稿日:2008年 6月18日(水)15時02分31秒
  インディージョーンズ。
気になります。

年齢を重ねた人しかわからないおもしろさ、余計見てみたい。
親子席があるスクリーンないかなあ。

ところで、
久々に、実家に帰っている。

いろいろと部屋の中を探索していると、『ほどける双子』のチラシが出てきた。

もう6年も前の芝居になるんだなあと、驚き。
確かに、わたしは旧姓のままだし。

今、二人を出産してみて、改めてこの芝居を振り返ると感慨深い。
「ハラノナカノイブツ、ウゴメクシュヨウ・・・・・・」なんてのは、リアルにわかる。
自分の体が自分ではなくなっていく瞬間たちの連続に、戸惑う。
そして、分離したあとの自分の体に還るはずの体が還らずにいることへの不安、苦悩も、またそこから見ることができるだろう。

妊娠出産とは、なんと神秘的で、なんと忌だろう。
産穢なんて昔いったけど、死穢と同じほどの穢れだったそうで、今では、社会的に幸福の賜物である妊娠出産が、そうではない一面を女性の中の陰の部分に残しつつ、受け継がれていっているのだろう。
それが、マタニティブルーや産後うつなんかの種になっているのかもしれない。

そして、育児に関わる自分を見て、母親と同じようなことを気づく。
あんなに嫌いな母親と同じ。
言っていること、やっていること、よく似ている。
過干渉なところ、反対にあきっぽいところ。

出産育児は、そういう母親と娘の双子であるような依存の部分を娘に発見させる発達段階なのかもしれない。
そう思うと、『ほどける双子』の彼女は、代々伝わる女性のジレンマの連鎖を物語っているのかもしれない。

なんて、おもってみたりして^0^


ほどける双子。
 

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 6月14日(土)18時46分46秒
   うん、これは傑作。見てよかった。

 クラシカルな冒険映画の装いをまとっていることに惑わされて、アクションや「SF的味つけ」だけにしか目がいかずに、「ショボい」とか言ってる連中の言うことは聞かなくていい。

 確かに、アクションだけ見れば、この映画よりも○○がいい、という人もたくさんいるだろう。しかし、この映画の真骨頂は、冒険映画の衣を身につけながら、「別の物語の構造」を持っていて、その見せ方のバランスが絶妙な点だ。非常に周到に仕組まれた物語構造を持つ「大人の作品」だよ。気づかない人は気づかないだろうが、齢重ねた人が見れば、スピルバーグの意図(ルーカスではない)はきっとわかるし、少なくとも、僕にはググッときた。

 奥歯にモノのはさまったような言い方でスマヌ。先行初日でなきゃ、もっと書くんだけれどね。今のところ、今年見た映画の私的ベスト1はこれ!
 

スピルバーグ

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 5月27日(火)11時26分39秒
   理恵さん、おめでとうございます。転んでもただでは起きない、脚本にむけてのバイタリティには敬服しています。身体には気をつけて。新作、期待しています。

 映画秘宝2008年8月号の、インディ・ジョーンス紹介ページに、スピルバーグの言葉が載っていた。
 「最近は「ボーン・アルティメイタム」みたいな短いカットでアドレナリンを分泌させるアクションが主流になっているけど、ああいうスタイルに「インディ〜」を帰る気はないんだ」

 この言葉に、僕は我が意を得たりと思う。最近のアクションは、カットが早く、何が起こっているのかわからない作品が多い。そんな代表作「ボーン・アルティメイタム」に関して言えば、何が起こっているか分からないから、前作・前々作の印象もあやふやになる。シリーズ3作目だが(「ボーン・スプレマシー」では雪原で狙撃とかしてたなあ)とか思ってたら、全然ちがう映画とごっちゃにしていた。(それは「ザ・シューター/極大射程」だ!)

 早いカット割と手持ちカメラ、むやみに大きな音とか爆発とかのショック演出、やたら強い登場人物、臨場感があるけれど、展開が早くてひとつひとつのシーンが記憶に残らないから、(その場で何が起こっているのかすらわからなかったりするから)後々まで覚えていることができないってもんだ!
 続編ができるたんびに、VTRを見直させる陰謀か。

 その点、スピルバーグの映画は、ジェットコースターのような映画であっても、一点一画をおろそかにしない。印象的なカットやモンタージュは記憶に残る。これぞ映画。
 もちろん、僕は、圧倒的にスピルバーグを支持するものである。
 

3D(打算、妥協、惰性)の日々

 投稿者:よしのりえ  投稿日:2008年 5月26日(月)15時45分10秒
  ひさびさに徳島に帰ってきて、この間フルタ先生と電話でお話しする機会がありました。
で、ひさびさに書き込み。

5月6日に、第二子(今回も男)を出産。
九月の中旬ぐらいに妊娠がわかって、10月1日から切迫流産のために自宅安静。
11月の中旬に仕事復帰して、1月の頭(正月)に今度は入院。
それから一回退院できるけれど、とんぼ返りで4月いっぱいまで入院。
24時間点滴。
4日に一回は針の差し替え。でも、すぐにもれるので腫れてしまう。腕が針穴だらけ。
途中で大量出血のために、分娩になりそうになり、絶対安静の日々。
導尿、寝たきり、食事も寝たまま、洗面もベッド上、テレビも雑誌も負担になるからやめていた。
ただ窓の外を眺めて、カレンダーの日付をチェック。
指折り数える日々。

<一日の流れ>
6時 朝にドップラーで赤ちゃんの心音を聞きに来る。睡眠やお通じなども聞かれる。
7時 朝食(和食と洋食の選択が事前にできる)
8時 そうじのおばちゃんがチリ箱のゴミを持って行ってくれる。
8時半 月曜は備品などをふいてくれる。水曜はシーツ換え。
9時ごろ 点滴のチェック。バイタル(熱、血圧、脈拍)チェック。睡眠やお通じなども聞かれる。何回も同じことを聞かれる。
9時半〜12時 モニターでお腹の張りと赤ちゃんの心音をとる。(張っていると分娩になってしまうので自動的に点滴の量が上がってしまう。)かなり恐怖な時間。だいたい1時間弱。
10時ごろ 病棟医回診。
11時ごろ 点滴チェック。
11時半 昼食(夕食とセットでA/Bから選べる)
2時ごろ 点滴チェック。
2時〜4時半 絶対安静のときは、火曜足浴、木曜シャンプー、月水金体拭きをしてもらう。安静があまりないときはシャワーへ行く
3時ごろ そうじのおばちゃんが、床をふいてくれる。
4時ごろ 点滴チェック。
5時半 夕食
7時 点滴チェック。ドップラーで心音を聞く。
9時 点滴チェック。消灯。
12時 点滴チェック。
3時 点滴チェック。
5時 点滴チェック。

今回の出産で、産婦人科にはだいぶお世話になった。
産婦人科病棟、いわゆる5B病棟なのだけれど、“病棟”というわりに、病気じゃない人が3割はいる。
正常分娩の人は、病気ではない。きわめて、テンション高く、同室はうんざり。赤ちゃんも同室。見舞い客かなり多く、うるさいし、テンション高い。
帝王切開の人は異常分娩となり、保険もきくし、生保ももちろんオりる。傷の痛みとれるとテンション高い。ある程度日数がたつと、見舞い客が来る。
私のように切迫流・早産の人、妊娠糖尿病、妊娠高血圧症候群、多胎による管理入院などは、出産までの期間限定病気。長引くほど、見舞い客激減。
子宮筋腫、子宮内膜症などは、とってしまうまでの病気。ただし、不妊傾向に陥りやすいためにその後にほかの症状で悩む人も。術後、退院。
子宮がん、乳がん、子宮頸がんで入退院の繰り返しの人も。その人たちには、なかなか終わりがないようで。家族が支えになっている様子。

これだけ、いろんな状況の人が一緒の病棟。
看護師さん、神経すり減っています。
もちろん、女ばかりの病棟、喧嘩上等。
病気ごとに大部屋は別れた方がよいのだけれど、そうもいかず。
切迫組と流産した人が一緒にいたことも。
こっちまでつらい。
あと過期産で子宮口をひろげる器具を入れた人が切迫の部屋に来たことがあって、早産になるのを抑えている人と、早く出産しないといけない人と一緒になって、陣痛で苦しんでいるのを横で聞いて、こっちまで赤ちゃんが出そうになったことも。
もうちょっと配慮が必要。

切迫組も、初産婦か経産婦かで全く違う。ずっとカーテンを閉めている人、子どもの会話で楽しく話せる人、食べ物の話が好きな人、勉強をしている人、いつも家族が来ている人、一日中ご主人が来て迷惑な人・・・・・・。
励まし、励まされ、あげあしをとられ、ひっくり返され・・・・・・。

病院に対しても様々。
主治医に不満な人もいれば、従順な人も。
看護師さんに横柄な人もいれば、気の弱い人も。

病状も様々。安静度も様々。病状が重い人、もうすでに子宮口が開いている人、点滴から内服に変わって一度退院できそうな人・・・・・・。
年齢も様々。すんでいるところも様々。里帰りの人、地元の人、ただ今だけここの近くに済んでいる人・・・・・・。
一人目、二人目、三人目・・・・・・・。
職業もばらばら。保険外交員、教習所の受付、ミスドの店員さん、薬剤師、教員、看護師、医療事務、工場のライン、専業主婦・・・・・・。
中には、学生さんの人も。
中には、シングルの人も。

まさに、かき揚げ丼。
フリッターズ。

でも、病院食の意見は、不思議と話が合う。
病室内は、ほとんどグルメの話。
これが、幸せの種。

ドラマは、想像の世界にはなく、やはりこの現実の一部を切り取った世界。
また、書けそうだ。
 

いっぱいいっぱいのカタチ

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 5月20日(火)19時53分18秒
   僕は、高校の演劇部の顧問をやるかたわら、大学生や社会人といっしょに演劇を作ってきた。そのうちのひとりと、「高校生の演劇とオトナの演劇の違い」について話をしたのだが、そこでの会話で、なぜか印象に残ったフレーズがあった。
 「高校生の演劇は、いつも、いっぱいいっぱいだよね」
 「いっぱいいっぱい」というのは、「いつも自分の能力ぎりぎりのところで芝居に取り組んでいる」という意味だ。日々の城北演劇部でも、目につくのは、不器用で、未熟で、段取りをこなしきれず、アップアップしているメンバーの姿だ。もちろん失敗も多い。オトナの演劇と比べると、技術的な面では、天と地ほどの開きがある。

 ただ、そうした、打算なしに瞬間瞬間を生きる高校生のひたむきさや正直さこそが、人の心を強く動かすこともまた確かなのだ。自戒の意味をこめていうと、大人になるにつれ、どこかに余裕が出たり、「これくらいでいいだろう」という気持ちが出やすくなる。オトナであっても、かつてはひたむきに生きてきた時間があったはずのに。

 5月25日、城北高校演劇部は、トミニシ演劇部で1997年4月に上演した芝居の再演を、ヨンデンプラザ徳島で行う。この芝居は、廃部寸前の演劇部を題材に、せっぱつまった高校生たちの「気分」と「気持ち」をたっぷり詰めこんだ作品である。城北高校演劇部では、テクニックや小手先の芸ではなく、台本が本来持っている「まっすぐさ」「ひたむきさ」を損なわないことに気をつけて、芝居作りに取り組んだつもりだ。それがうまくいっているかどうか、皆さんには、ぜひ生の舞台で確認していただきたいと思う。

 高校生には高校生にしかできない表現のカタチがある。そこに、彼らの生きる真実の姿が凝縮されていれば理想的だろう。
 不器用な部員たちは、4カ月間、この芝居に取り組んできた。どうか「まっすぐさ」や「ひたむきさ」が、いいカタチで観客の皆さんに伝わりますように。心に残る一期一会になりますように。
 もちろん、出来は「神のみぞ知る」だ。だが、僕は、そうした「カタチ」が、舞台の上で再現されることを、実は強く強く確信してやまないのだ。なぜなら、彼らは「いっぱいいっぱい」だからだ。彼らは、不完全だからこそ完璧なのだ。それを先人は「青春」と言ったのだ。
 僕は、今回、あきれるほど楽観的な気分で、開幕を待っている。
 

エリザベス・ゴールデン・エイジ

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 2月29日(金)01時41分47秒
   ケイト・ブランシェットが主演していながら、「エリザベス」(98)の続編とは全然気がつかなかった。「エリザベス」は、彼女が真の女王に成長していく様子を、ドラマチックに描き切った傑作だったが、今回は、イギリスと無敵艦隊との戦いに至るまでのスペインとの確執を軸に、エリザベス一世の女王として人間としての葛藤を物語的に描いている。
 安っぽいCGが強調された予告編を観て、行くべきかどうしようか迷ったが、結果としては観てよかったと思う。いや面白かったですよ。

 演技は、時代物らしく大芝居なんだけど、エリザベスの内面と葛藤を深く描いていることもあって、結構スリリングに見られる。アップもいい。
 演出もケレン味たっぷりで、情緒的にかき鳴らす音楽がときどきウルサイとは感じたが、豪華なセットと衣装で空間を埋め尽くし、その中をカメラがエモーショナルに動き回りつつ、結構キチっと設計された絵を見せてくれるのには正直感心した。

 宮中の場面に比べると、海戦場面は、今の映画の水準でいえば平均点。ソツなく仕上げている、といった感じ。実際に作った帆船は一隻とみた。ま、ドラマの展開上、海戦にはあまり重きを置いていないのだろうが。馬も泳いでいたね。

 でもね、なんていっても、この映画の巧みなところは、メアリー・スチュアートの処刑に、エリザベスが自らの運命を重ねて不安を増幅させていくという展開部分に尽きる。
 処刑シーンでは、メアリー・スチュアートをアップで撮ったり、彼女の主観のカットを挿入したりして、メアリーに感情移入するように観客をいざなう。
 処刑場面でたっぷりと時間をとってあるから、その後、観客は、(スペインに敗れれば、エリザベスは宗教裁判にかけられて、メアリーと同じ目に遭う!)と、実感できる。そんなエリザベスの不安や恐れ(スペイン王に対する畏怖でもあり、神に対する畏怖でもある!)を感じることができる。
 シェイクスピアなら、ここは、メアリー・スチュアートの亡霊とかを出してきてエリザベスを怯えさせたりする場面かも。

 この仕掛けが生きているから、エリザベスは類型化された「王」ではなく、葛藤する人間的な存在として描かれている。謀略的興味を呼び起こすストーリー展開と、極限状況下で揺れるエリザベスの人間的葛藤がうまく融合されて、それなりに見ごたえのある作品に仕上がっている。

 ただ、串刺しにした団子のように、エピソードが時系列に沿って単線的に並んだ構成は、平凡で物語的にすぎる。また、イギリス国教会=善、カソリック=悪という図式的な設定はいかがなものか。分かりやすくするためだろうが、構成にしろ何にしろ、ドラマの構造を一面的に整理しすぎるのは、「物語」を求める観客にはいいかも知れないが、ドラマとしてはつまらないと思う。
 

最近はこんなことに

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 2月21日(木)09時40分31秒
  関心がある。

 @NIFTY/前回のG7/鈴虫のこえ、宵のホタル/AA びっくり まとめサイト/ELECOM/EU 生産過剰抑制政策/EU憲法/FTA/if 徳島 家具/infoweb/JRA/JR四国/nuda 携帯 販売/RSS/TGV 速度記録/TOTOシーウィンド淡路/USJ/willo the wisp/アカデミー賞/あや戻し/イラン革命/インプライド・ボラティリティ/エヒード/オイルシェール/オグショー ハイエース/カラーテレビの普及/グラインドハウス/クラッカーズ氏/ゴドー ブレヒト/ジャパンネット銀行/ジョン・ウォーターズ ヘアスプレー/セニアカー/ソウルフラワーユニオン/ソシエテ 損失/ソフトバンク/たこフェリー 時刻表/タレル ベネッセハウス オープンスカイ/チェチェン紛争/テレビとくしま/とうきび/とば口/トミニシ エンゲキ/ドル建て日経平均/なんばパークスシネマ/はじらい/パン屋の用心棒/ピーターソン報告/ブレトン・ウッズ体制/ボクシー ハイエース/ムッシュムラムラ/もういいかげんにせえよ/モラルハザード/ユーゴスラビア紛争/ロッキード事件/宇宙忍者ゴームズ/俺たちフィギュアスケーター/夏至/花田明子/楽天/開門岳//感興/間仕切り/岩屋 高速船/逆ザヤ/駆け込み訴え 太宰治/月山/広島カープ 外人選手/綱引き 必勝法/荒らし/行きかう人もまた旅人なり/高松工芸高/高知県立美術館/今日すべきこと/姉三六角蛸錦/勝谷誠彦/浄化槽法/神は細部に宿る/三宮シネフェニックス/全国高等学校演劇協議会/曽我部マコト/相棒 シティ・オブ・バイオレンス/長期国債先物/椿三十郎/電動カート/堂に入った/石井町 寿司/徳島県立城北高等学校/内田樹/南海フェリー 時刻表/白ロム携帯 V602T/眉のごと 雲居/木の家 無印良品/

      古田が最近yahoo!で検索した項目。
 

Mr.ビーン/カンヌで大迷惑!?

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 2月19日(火)15時01分26秒
   もともとはテレビのコメディ。目玉ギョロリの変なおじさんMr.ビーンの10年ぶりの映画化。教会のくじ引きでカンヌ旅行が当選したビーンが、イギリス〜カンヌまでの珍道中を描く。主演ローワン・アトキンスン。

 ビーンは、自閉的で、社会に適応できそうもない男。しかし、母性本能をくすぐるチャーミングさや純情さが魅力。コトバをほとんど発しない彼からは、サイレント期のコメディアンを連想する。

 しかし、「観客を笑わせる」というよりは「観客に笑われる」という芸風で、プリミティブなギャグも多く、観てると、こちらが恥ずかしくなる。ちょうど「寅さん」のベタなギャグシーンを観ているような、居心地の悪さを感じる。これが、ナンセンスの先達であるキートンやマルクス兄弟、完全主義者のチャップリンなどと大きく違う点だと思う。

 でも、作品の出来とは別に、個人的にはとても感動したのですね。もう思い入れだけで今回は星5つ。

 感動したのはなぜかというと、傷つきやすそうで自閉的なビーンの姿に、自分の姿が重なったからだ。あのダメさはひとごとでない。運転中に眠りかけて、手にかみついたりするシーンを観て、(ああ、自分もあんなことするよなあ)と我が身を振り返って、とても恥ずかしくなってしまった。

 また、ドラマ的には、カンヌの海をめざすという展開が、とてもいい。
 個人的なことだが、オイラもよく海に行く。泳いだり、プカプカ浮いたりしていると、俗世のモヤモヤが吹っ飛ぶ、至福の瞬間。
 海でのスイミングがいいのは、羊水の中に浮かんでいた、胎児のころの記憶が呼びさまされるからかも知れない。仕事などの現代のストレスから逃避するためには最適だ。

 考えてみれば、海はすべての生物の故郷。海をめざすのは、アユやサケだけではない。ヨーロッパの人々は、バカンスと称して南地中海を目指し毎年大陸大移動を行う。
 海へ還る、というのは、生物的にいっても、極めて当然の行動なのかも知れない。
 また、海は母性の象徴でもある。どこか母性本能をくすぐる、永遠の少年であるビーンが、母なる存在である海をめざすのも、しっくりきますね。

 ラスト、カンヌの海にたどり着いたビーンのただごとではない至福感を見よ。これを見て、正直、オイオイ泣かされてしまった。はい(恥)。

 また、秀逸な場面もいくつかある。
 冒頭、ビーンがカンヌ行きの抽選に当選すると、抽選会場を走っていたオモチャの列車が、トンネルに入り、次のカットでビーンの乗ったホンモノの列車(ユーロスター)になって、トンネルから出てくるというシーンがある。
 ビーンは少年の心の持ち主。オモチャからホンモノへ。リズムのよい、高揚感にあふれた冒頭。少年のピュアな心を持つビーンの、非日常に旅立つワクワク感を端的に表した、優れたカットと言えるだろう。
 サラっと作っているように見えて、うまく企んでいるスタッフにちょっと感心。
 

映画「アメリカン・ギャングスター」

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 2月10日(日)21時50分37秒
   文句なし。尊敬できる仕事。さすがリドリー・スコット。

 1970年前後のアメリカ社会と麻薬犯罪を、犯罪者側と捜査側の双方から、あますところなく描き、怒涛のクライマックスにむけて正攻法で盛り上げていく。157分の長尺をまったく感じさせない、映画的興奮に満ちた、歴史に残る名作、と断言してしまおう。

 特筆すべき点は数あれど、あえてひとつあげるなら、フランク・ルーカスというユニークで現代的な悪人を、かなり詳細に描きこんでいる点だ。
 彼は麻薬密売の元締めでありながら、地味なスーツを着て、堅実に振る舞い、家族を大切にする。まるでビジネス・エリート。それは、善と悪の境界をあいまいにする巧妙な擬態。そうした多面的な悪人役に、名優デンゼル・ワシントンをキャスティングした時点で、この映画の成功は約束されたと言えるだろう。彼の振る舞いひとつひとつが、スマートで的確で、クールで、貫禄や繊細ささえ漂ってくる。実にカッコイイ。男もホレルぜ。

 また、フランクの役柄に象徴されているように、この映画では、単純に善と悪を対比的に描かない。悪を追及する側の警察でさえ、腐敗しきっている。孤立する善良な刑事であるリッチーでさえ、家庭人としては不善をなしていると元妻から非難される皮肉。
 加えて、この作品の副旋律としてベトナム戦争が描かれる。ベトナム戦争こそ、アメリカの正義が大きく揺らいだ戦争だった。この映画にあるのは、善と悪があいまいになり、「何が正しくて何が間違っているのかわからない」状況そのものである。
 こうした中に、あの当時のアメリカはあった。だからこそ、麻薬はアメリカに蔓延したのである。こうした重層的な対比的な描き方が、「アメリカン・ギャングスター」では大変巧妙で「うまいなあ」と思う。

 そして、この映画の真骨頂は、善をなすことが難しい状況にあってさえ、刑事リッチーが「それでも正義であろうとする意志」を貫こうとする姿勢にある。ここに、作り手が「アメリカの良心」を貫こうとする骨太なメッセージが明確に伝わってくる。それは「それでもボクはやってない」などに通じる、映画作家の「覚悟」の表明なのだとオイラは思う。
 

四国大会感想「エバラ日記」

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 2月 5日(火)16時49分47秒
   城の内高 大窪俊之「エバラ日記」

 この劇は、革命家の魂を受け継いだ現代の女子高校生が、相撲を取ることで、現代日本に革命を起こそうとする、という物語である。
 まず、幕が開くと、独特のセット抽象的なセットに目が奪われた。何本かのロープで吊り下げられている土俵や何本もの鉄柱など、具体的な場所を特定しないような作りだった。薄暗い舞台の上で吊られた円形の土俵が発光する様子は、とても幻想的だった。しかし、この光る土俵がどういう意味をもつのか、私たちには、明確な答えが出せなかった。
 役者の演技はわかりやすく、振り向き方にも感情の変化が見えた。エスノセントリズム、などの難しい用語が使われていたが、聞こえにくかったという意見も出された。また、わかりやすさのためにハバネロの袋を出すところなどが読めてしまった。また、演技のほとんどが舞台の中央に吊られた円を土俵に見立てて、その中で行われていた。鉄柱や、天井に吊るされたコンドルなどが背景となって、舞台は大きく感じられたが、演技空間は閉塞感が感じられた。
 劇中では、携帯電話が人体に内蔵されたら、その携帯は人間になるのか、それとも人間が携帯になってしまうのか、という問題で革命を起こそうとしていた。人間が別のものになってしまうのではないかというのは、現代日本でも感じられる不安のようなものだ。社会の波の中で、知らない間に変えられていくことに対する漠然とした不安は、私たちも感じている。知らない間に私たちのありようも、変えられていくのではないか、そんなことを感じた舞台だった。
 (12/22 高知県立美術館ホール)
 

映画「28週後・・・」

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2008年 2月 4日(月)16時33分45秒
   映画レヴュウ。感染した人間をゾンビ化するウィルスが猛威をふるってから28週後のロンドンを舞台に、再感染の危機に直面した人々と家族の人間ドラマ。

 神になりかわって、人は理性によって自らをコントロールすることができる、というのが近代以降の理性信仰である。
しかし、理性的なはずの人類は、20世紀に入り、相次ぐ世界大戦や環境破壊などによって、同胞を殺し、自然を破壊しつくしてきた。
理性信仰はいまや地に堕ちた。理性によって人類は正しい方向へ進歩していく、という楽観論は、もはや幻想にすぎない。

 「28週後・・」には救いがない。地獄絵図。絶望的な状況。家族が家族を裏切る。軍は人々を皆殺しにする。それでも感染はくい止めることができない。そうしたサマを描くことで、「神なき現代」を生きる現代人の実相を、本質的な部分で見事に写し取っている作品だとオイラは思う。

 この映画は、あまりにもむごたらしく悲痛な状況を、これでもかこれでもかと綴っていく。だが、オイラはそれを正視できるほどタフではないことに途中で気づく。暗澹たる気分になりながら、オイラは映画館を出た。この映画の状況と比べたら、戦争の方がまだ理性的なのかも知れぬ。

 この映画は、ホラー映画のジャンルに入る。残酷で刺激の強い描写も多い。だが、それだけではなく、現代社会に対する高い批評性を備えていると僕は思う。
 ゾンビが蔓延するという状況は、現代社会がかかえている問題状況をあぶりだすには格好の仕掛けである。その意味で「ゾンビ」を発見したジョージ・A・ロメロは偉大だった。「28週後・・・」は、その系譜につながる作品である。だが、あまりにラジカルで厳しい。厳しすぎる。そうした厳しさを僕は受け止めかねた。常にラジカルであろうとす僕にとっては、自分のヘタレぶりがつくづくイヤになる。
 

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