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こんなことを考えています。

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2003年 5月18日(日)02時06分11秒
  青空侍(kiosk77)先生のところで、「千と千尋」について考えています。
http://groups.msn.com/cpgv7p6qlvs9eit6r4bajvld64/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=32&all_topics=0
以下転載です。

 観客が解釈として「癒し」を求める傾向は、最近とみに強まってきていますね。そういう「物語」を、現代に生きる我々は欲しているということでしょうか。そうした「時代の気分」のうさん臭さは分かるのですが、宮崎監督が確信犯的に時代をミスリードしようとしているという指摘は、宮崎監督を少し買いかぶりすぎているんじゃないかと思います。

 「千と千尋」は、「もののけ」とは違って、内面的で多義的な匂いがします。雑誌「映画秘宝」で「この映画は、湯屋の少女による、性的な奉仕をイメージさせる」という文意の指摘がされていました。無意識の中に潜む闇の部分を観客につきつけるという手つきから、僕が連想したのは、「不思議の国のアリス」でした。遠回しに言うと、ルイス・キャロルと同じような意味で、宮崎監督は、無意識的には極めてプライベートな部分をさらけ出すことも厭わず、この作品を作っている。宮崎の言葉をかりると「ファンタジーを作るということは普段開けない自分の脳みその蓋をひらけること」なのですね。そうした部分こそ、「千と千尋」、僕にはとても面白いわけです。

 戦争や奇怪な事件。混沌とした世界。そして個は社会との連続性を失ってバラバラに存在している。そうした世界では、単純化された楽天的なコトバは、リアリティを持ち得ないのでしょう。そのことを踏まえたうえで、混沌とした世界をあえて多義的に表現しようと追求する姿勢こそ、宮崎監督の「誠実さ」であり、よき「成熟」にほかならないと僕は思っています。

 閑話休題。
 すふぃあさん、おひさしぶりです。またどこかの会場でお会いできるといいですね。
 古田彰信プロデュースは、高校演劇でできないことをアマチュア演劇でやろうと思い、今までに6度の公演を行ってきました。もし、機会があれば、こちらの方も覗いてみてください。次回公演は、告知いたします。
 

早速のレスありがとうございます。

 投稿者:すふぃあ  投稿日:2003年 5月17日(土)17時54分39秒
  そうですよね。徳島に行けば海南高校さんの舞台も観られますよね。
南四国のコンクールを観に行くのは私のささやかな夢だったのですが、今はそれが実現できそうな気配がありません…(地元の大会すら観に行けないので)。
「デスク・ショック」は確か「七十年目の赤いバラ」の前年でしたね。
四国大会のパンフレットにタイトルだけ載っていたので、どんな作品か気になっていたのですが、紋田先生の作品だったのですね!全国にも出てるとは…驚きました。
(私のHPのプロフィールのページで、「デスク・ショック」のことを紹介(?)しているところがあるのです。)
遅くなりましたが、新採用おめでとうございます。
演劇をしばらくお休みされるとのことですが、演劇を離れることによって、また違った視点から演劇について考えることができるかも知れませんね(何だか、自分に言い聞かせているような気が…)。
また斎藤先生が高校演劇の世界に戻って来られる日を心待ちにしております。
以前、某所の掲示板に書き込みさせていただきましたが、あの「破稿銀鉄」は素晴らしかったです。
しかし12時間以上も学校とは…くれぐれも無理されぬようお願いします。
本当に、お返事いただきありがとうございました。

http://all.at/rodely/

 

斎藤先生へ

 投稿者:すふぃあ  投稿日:2003年 5月17日(土)11時16分10秒
  個人的メッセージで申し訳ありませんが…。
斎藤先生、以前は海南高校におられたのですか?
海南高校といえば、以前、愛媛で四国大会が行われた時(「白の揺れる場所」が四国大会に出た年です)に、「七十年目の赤いバラ」(でしたっけ?タイトルうろ覚えですみません…)という作品を上演されたと思うのですが、この作品を見て、海南高校演劇部のファンになった者です。
とは言え、あの時以来、海南高校演劇部の舞台を見る機会はめっきりなくなってしまったのですが…。
新任校でも頑張ってくださいね!

古田先生、ご無沙汰しております。
徳島の四国大会でお会いして以来ですね。
あの時は松山南の「ホシより永遠に」と、池田の「破稿銀鉄」しか見られなかったのですが、どちらも素晴らしい舞台で、はるばる徳島まで観に行った甲斐がありました。また、会場で古田先生にお声をかけていただいたことが、何より嬉しかったです。
そして、京都公演おめでとうございます!
古田彰信プロデュース、いつか是非拝見したいと思っております。私が観にいける時まで続けてください!!

http://all.at/rodely/

 

作品を書こうというのでは・・・

 投稿者:青空侍  投稿日:2003年 5月10日(土)23時16分50秒
  龍聖さん、はじめまして。
中学生と一緒に演劇作りをしているものです。

 初めまして。私は脚本家を目指している学生です。
 私は作品を書こうと必死になるあまり、
 よく登場人物の個性や特徴を消してしまい、
 何よりも『気持』という大切なモノまで消しそうになってしまいます。

あなたは作品を書こうとしているようですが、
その前に書かねばならない何かがないのではないでしょうか。
つまり主題を持たずに書き始めていませんか?
これは私がかつてよく失敗したことなのですが。
主題が見つかり、それを描くにふさわしい人物の設定と状況の設定が出来れば、
登場人物は勝手に動き、しゃべりはじめますよ。きっと。
登場人物に魂を入れる作業を大切にして下さい。
そのためには、その人物がその場にいる理由を明確にすることです。
全てが、あなたの主題に沿って必然的に存在するものでなくてはならないと思います。
そうしないと、1人の人物を2人や3人に分割してしまい、あなたのおっしゃる個性や、
その登場人物の存在そのものが消えてしまうということになるのではにでしょうか。

 そんな私が今書こうと思っているのはズバリ「人の気持」をテーマにしたモノです。
 夢への挑戦、イジメや失った友への懺悔、そして明日への希望と不安。
 ま、言うなれば学生ならではの悩みなんかを書いてみようと思ってます。

あなただからこそ描ける世界があると思います。
それを描くべきだと思います。
しかし、人に見せる以上、
見るに値するものでなくては、共感は得られません。
独り言や自己満足ではどうしようもありません。
そうならないようにするためには、
心を開き、耳を澄まして、
世界をあなたの中に取り込むことも必要だと思います。
そこからあなたのテーマを見つけることです。

 未熟ですし、経験も無いけれど書くことによって成長できると思い、
 現在、少しずつではありますが執筆しています。
 途中で挫折せずに書き上げようと思っています。

未熟は、お互い様です。
でも、書く情熱だけは大切にしましょう。
書き上げることは大切ですよ。
とにかく作品として仕上げましょう。
そして、広く意見を求めましょう。
自己満足にならないように。

 勉強も疎かにならないよう頑張ります。以上です。お邪魔しました。

突然乱入してしまいました。申し訳ありません。
かつての自分と重なってしまったもので・・・。
学業、頑張って下さい。
 

存在感が否応なく立ち上がる「WATARIDORI」

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2003年 5月10日(土)19時10分55秒
   みいちこさん、はじめまして。東北の高校生の方ははじめてですね。
 遠くの方と出会うと、とても不思議な気持ちになります。
 また活動の様子など教えてください。
 「スピリット」はいい映画ですよ。是非ご覧になるといいでしょう。
 でも、ディズニー映画ではないんですよ。ドリームワークスという会社の作品です。
 「シュレック」というアニメ映画を作った会社ですね。詳しくはこちら。
 http://www.uipjapan.com/spirit/

 またまた映画の話で恐縮です。「演劇的」感想コーナー。
 作品は「WATARIDORI」。
 渡り鳥の飛行を延々と映したドキュメンタリー的な映画。
 http://www.wataridori.jp/
 世界中をロケし、熱帯から寒帯までの渡り鳥の生態をカメラにとらえています。
 と言っても、「刷り込み」によって、
 鳥はジャイロコプターの音を追うように調教されているので、
 正確にはドキュメンタリーではありません。
 (アカデミー賞のドキュメンタリー映画部門にはノミネートされていたようですが)
 きちんと演出されているだけに、なかなかいい絵がたくさん撮れていて、
 見ごたえがあったことは確かです。

 この映画、ちょっとした演出はありますが、
 基本的に渡り鳥が飛んでいるところを延々と映しているだけなので、
 ドラマはありません。ただ、鳥が飛ぶ姿を観るだけ。(寝ている観客もみかけました)

 1時間40分も、鳥が飛ぶ姿を観ていると、いろいろな発見があります。
 まず、鳥は気持ち良さそうに飛ばないということ。
 本能にしたがって、必死で羽根を動かしながら飛んでいます。首もすわっていません。
 飛びながら、ガーガーとやかましい。あとは羽根音。
 あまりロマンティックでもありません。
 映画の中の鳥は、いつもびくびくして、 
 障害があっても逃げるだけで、なかなか大変そうです。
 「現代人の癒しの映画」と聞いて観に行きましたが、
 観てる方も、何だかつられてびくびくしてしまって、それどころではなかったです。

 また、余計な意味づけやストーリーがないために、
 そこに「鳥が鳥としていること」が、観ていて強く感じられます。
 「演劇とは何か」という作品に「そこに(みんなが)いるだけの芝居」を
 みんなで考えて演るシーンがありましたが、まさにそれの映画版といった感じです。
 鳥たちの存在感が、強烈に伝わってきました。
 
 「WATARIDORI」を観たあと、アニメ映画「スピリット」を観たのですね。
 「スピリット」、最初のシーンに、ワシ(タカ?)が飛ぶシーンがあるのですが、
 実写の鳥と比べると、飛び方が意志的で、メリハリがついているのが
 (あ、違う)とか思ってしまいました。
 本当の鳥は、もっと何も考えずに、ぽっかりとした頭で飛んでいる感じ。
 対象の存在感について、そして対象を「観察する」ということについて、
 否応なく意識させられた映画でした。
 

映画

 投稿者:みいちこ  投稿日:2003年 5月 9日(金)21時39分33秒
  はじめまして。福島県で演劇部に所属している者です。
「スピリット」ってそんな映画だったんですね。私は、CMでやってるのを見た時点で、みたいなあと思ってたんですよ。でもなかなか時間取れなくてまだみてないんですよ。この映画ってディズニーですよね?私は、なんか、この映画あんまりディズニーっぽくないなあとおもいますけど。
早くみたいです。
 

人間くさい「馬」の映画を観た

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2003年 5月 5日(月)20時52分33秒
   「僕が「スピリット」という映画をみた理由」

 GWの休日。話題の映画「シカゴ」を観ようと思って
 1時間以上かけてシネコンまで行ったにもかかわらず、
 ついふらふらと、表題の映画を観てしまった。
 シネコンでは、客が入らない映画は、どんどん上演回が減らされる。シビアな世界。
 その映画は、公開間もないというのに、すでに上映は一日一回のみ。青息吐息。

 けれども、その日、僕がシネコンに着いたときに、
 その映画は、ジャスト上映開始時間だったのだ。ああ、これも何かの偶然か。
 もし僕が、今ここで観なければ、僕はこれを一生観ないのだろうなあ、
 そしてみんなこの映画を観ないのだろうなあ、
 なんて思ったら、「一期一会」とかいう言葉が胸に浮かび、
 なんか不憫に思えてきて、気がついたらチケットを買っていた。
 案の定、映画館の中には、GWの休日だというのに、カップルが一組のみ。
 一日3人の観客。5/5で打ち切り予定。

 たぶんここを覗いている人は、だれも観ていないのだろう、
 「スピリット」は、馬が主人公の米アニメ映画。
 草創期のアメリカ旧西部。大自然に生きる若い牡馬が、
 西部を開拓する白人に翻弄されながらも、アメリカ先住民との魂の交流を深め、
 誇りを失わずに自由と故郷を求めて戦い生きるといった物語。
 とってもシンプル。


 「感動と違和感と」

 観て思ったこと。
 不覚にも僕は感動してしまった。
 白人たちは、牡馬を力で調教しようとするが、
 アメリカ先住民の青年は、馬と交流し、その魂を尊重する。
 生じる尊敬と友情。親密になるプロセスと別れが胸にしみる。
 白人の敵役が、一方的な悪人として描かれてないのもいい。
 
 しかし、同時に違和感を覚える。
 盛られている「恋や勇気や故郷への思い」は、馬のものではない。
 馬の感情やふるまいを、擬人化して初めてそこに現れるものだ。
 極めて人間らしい観念を語るのは「馬」。

 いや、擬人化されたテーマを動物に仮託すること自体を、
 不自然であるというつもりはないのだ。
 動物を擬人化した映画や演劇はゴマンとあるではないか。

 問題は、表現の統一性にあると思う。
 この映画、絵は精密で、馬たちはリアルに描かれる。
 リアルな馬だから、「言葉」を喋らない。リアリズムに基づいた演出。
 監督も「喋らせたら何にもならない。馬は話すはずないのだから」と述べている。
 しかし、なぜか馬の感情表現だけは、変に人間臭く誇張されているのだ。
 
 最大の問題は、馬同士のシーンだ。
 互いにコミュニケーションする馬たちは、まるで「人間」のようだ。
 表情が漫画的に誇張され、
 下手なパントマイムのように見える。
 「人間の表情を持つ」馬のマイム。それは、
 (馬同士でいるのだから、誰に気がねなく馬としてふるまえばいいではないか)
 と思わず観ている側がツッコミを入れたくなるほどの違和感。
 この映画、アニメにせずに、
 実写で撮った方がよかったのではないかと思ったのも事実。
 
 それとあとひとつ。
 「馬同士が交流している場面」で感じた違和感は、
 「人間と馬が交流している場面」では、さほど強く感じられないのだった。
 擬人化された馬に違和感を覚えない「人間」を登場させることによって、
 観客の「擬人化」に対する違和感が緩和されるのだ。
 登場人物のふるまいを通して、無意識のうちに観客(ワタシ)が、
 「この映画をどうみたらいいのか」という
 ドラマのなかの「約束ごと」を学ばされている。
 そのことを自覚させられた作品だった。

 ドラマについて考えることは、何だかとても奥が深い。

 龍聖さん、はじめまして。
 また脚本が書けたら、是非読ませてください。
 僕も、「気持ち」や「実感」を大切にした作品が書けたらいいなと思っています。
 それから、次回の書き込み時に、自己紹介をしていただければ幸いです。
 今後ともよろしくお願いします。
 

悩み相談というか抱負です。

 投稿者:龍聖  投稿日:2003年 5月 5日(月)17時19分29秒
  初めまして。私は脚本家を目指している学生です。
私は作品を書こうと必死になるあまり、
よく登場人物の個性や特徴を消してしまい、
何よりも『気持』という大切なモノまで消しそうになってしまいます。

そんな私が今書こうと思っているのはズバリ「人の気持」をテーマにしたモノです。
夢への挑戦、イジメや失った友への懺悔、そして明日への希望と不安。
ま、言うなれば学生ならではの悩みなんかを書いてみようと思ってます。
未熟ですし、経験も無いけれど書くことによって成長できると思い、
現在、少しずつではありますが執筆しています。
途中で挫折せずに書き上げようと思っています。
勉強も疎かにならないよう頑張ります。以上です。お邪魔しました。
 

いなくなった人

 投稿者:伊丹来未  投稿日:2003年 4月30日(水)17時22分37秒
  ちょっと衝撃的題名。
久しぶりにここに書き込み。少しドキドキ。。書くのに時間がかかってしまう。
パバアーヌの感想の感想。っていうか、感想読んで、単に私も書きたい気分になってしまったのです(笑)
私の死のイメージ。(勝手に書いてますが・・汗)
生きている人もそうなんですが、他者がいて自分がいる。
自分は他者を無意識(?)で認識する。ぴったりの言葉がわからないので何度か書き直すと、自分は誰かを解釈、もしくは自分のパターンやルールを通して理解したりする、そんな「気」がなんとなくします。なんとなく。。
だから今まであまり出会ったことのないような人と出会った場合、戸惑いとか不安を感じてしまったりする。
つまり自分と他者の他にもう一人、自分の中にも他者がいる。(意味不明??)
この他者と自分の中の他者は、実は客観的に見るとズレテイル場合もあったりして、でも自分は自分としてでしか相手と関われないわけである。
後、自分の中の他者はショセン自分の中であって、他者のように外部からの影響がある存在ではない。あくまで自分の中のたった1人の他者。

誰かがいなくなって、その人が見えたりするって、ホントは自分の中の他者を見ている気がするんです。誰かが死んで、本物の方の他者は現れなくなって、気持ちの方の他者だけ生きて。
だから気持ちの中での他者は生きているはずなのに、もう二度と外部からの影響があることはなくて、それがわかってるのは悲しくて。。
なんか、、イメージです。私の。勝手な。書いてみただけです★

先週、全然話は変わりますが、映画「シカゴ」を見ました!
どの映画もそうだと思うのですが、ルールがあって、それに沿って、ストーリーが展開していくのですが、明確なルールで非常に見やすく、楽しい映画のように思いました。
やっぱり音楽って人の気持ちを楽しくさせたり、動か力がありますね〜といった感じ。。
先週は映画2本、芝居を1つ見た私でした。
皆はGWどう過ごすのかな?部活かな?
ではでは、お邪魔しました、いいお休みを〜〜(^O^)/

 

映画の感想/戦場のピアニストなど

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2003年 4月22日(火)19時14分53秒
   最近見た映画の感想を叫びます。独断感想。

 「戦場のピアニスト」
 第2次大戦で迫害を受けたユダヤ人ピアニストが、
 ワルシャワの街で隠れ生きのびる姿を描く。ロマン・ポランスキー監督。

 僕は、昨年春に観た「ビューティフル・マインド」を思い出した。
 両方とも実話だし、何より戦争と主人公の関わり方が、
 「ビューティフル・マインド」の主人公と狂気の関わり方と
 よく似通っているような感じがしたからだ。

 窓から見える戦争は、
 ひょっとしたら、主人公の妄想ではないか、と思う。
 主体的に出来事にかかわるのではなく、
 状況にながされていく主人公の状態が、
 変に実在を伴わないからだ。
 主人公は、音楽の世界に閉じこもっているように見える。
 数学の世界に閉じこもる
 「ビューティフル・マインド」の主人公と、
 共通した印象を感じたのは、僕だけではあるまい。

 もちろん、これはこれで、戦争に生きる人間のドラマなのだろう。
 しかし、僕は、主体的に主人公が事件を引き起こし、
 そのことが契機となって、ドラマが広がっていくような映画が観たい。
 演劇論とも重なるのだが、周囲の状況の変化にひきずられて、
 主人公が変貌していくというドラマより、 
 主人公自体の連続的行動から、
 周囲と主人公の関係が変化していく映画の方が、
 演劇を連想させて、僕にはスリリングだ。

 実話には、案外直線的なドラマが多い。
 「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」も、
 映画的装飾を施されて、立体的に構成されてはいるが、
 「戦場のピアニスト」と同じように、
 実はとても直線的な物語だ。

 僕は、むしろ「リロ&スティッチ」のように、実話にとらわれず、
 キチンとドラマを構築しようという企みのある作品が好きだ。
 (もっとも、「リロ&ステ」の作品の出来そのものは、
 あまり褒められたものではないが)

 トールキンの長編ファンタジー「指輪物語」の映画化、
 「ロード・オブ・ザ・リング/ふたつの塔」も遅ればせながら観た。 
 ずっと観なかったのは、その長さのせい。3時間! 
 3時間も映画館にへばりついて観るなんて、気が遠くなる。

 そもそも、こうしたフィクションを、
 僕は、ある時期(青年期)現実の代替物として、とても必要としていたが、
 今の自分にとっては、これを観る必要性が見つからなかった。 
 僕は、現実との接点のある映画を、どうしても優先的に観てしまう。
 「純ファンタジー=現実との関わりが希薄」であることに、
 話題作でありながら、なかなか食指が動かなかったのだ。

 でも、これは、とてもよかった。 
 僕は黒沢の「乱」を思い出した。 
 黒沢は、晩年は様式性を重んじていたが、
 その部分を除いて、よりスペクタクル性を重んじ
 俯瞰のモブシーンを多くすると、「ふたつの塔」の雰囲気になる。
 ファンタジーという器を借りて「歴史」を描くという、 
 とてつもない挑戦に取り組んでいるPJ監督に敬意を表したい。
 

初心者

 投稿者:ナカムラ  投稿日:2003年 4月18日(金)19時34分52秒
  古田先生、返信ありがとうございます。
ネット初心者です。失礼しました。おそ松先生ありがとうございます。
つたない上演をご覧になっていただいて恐縮です。ぜひ感想をいただきたいと思います。
山梨で全国大会があったとき、会場は2000弱でした。わざわざ期間を延長して(演劇がはみだし)大ホールを使ったのに、講評で隣の小ホールにした方がよかった、と言われました。小ホールは700です。だれも思っていることだと思うのですが、あまり話題には上ってこないのはどうしてでしょうか。あきらかに小さな会場の方が活きる舞台が全国にも関東にも出ているのですが。

今後ともよろしくおつきあいください。
 

今後ともよろしく

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2003年 4月17日(木)02時27分26秒
   ナカムラ先生、はじめまして。
 会場のサイズの問題について、具体的な提案を出すと公言したのですが、
 まだ出すことができずにいます。僕の多忙にかこつけた怠慢です。
 しかし、会場のサイズが、高校演劇のありかたを規定し、
 そのことが演劇の可能性を不自由なものにしているという現状について、
 これをどうにかしていきたいとは、もちろん常々思っています。
 いろいろな方の考えを聞かせていただければ幸いです。

 先生の学校の作品は、南関東大会で拝見したことがあります。
 また台本など拝見させていただきます。今後ともよろしく。
 

また、間違えている。

 投稿者:おそ松。  投稿日:2003年 4月16日(水)21時36分28秒
  >中村先生。又違うよ。WWWを忘れるんだから。

http://www.suchanga.com

 

はじめまして

 投稿者:ナカムラ  投稿日:2003年 4月15日(火)01時01分50秒
   山梨で演劇部の顧問をしている中村勉といいます。富岡西高の活動の様子はこのホームページで知るだけなのですが、とくにこの掲示板の内容の深さに感心して初めて投稿します。会場の問題についての一連の議論には前々から関心を寄せていたことなので興味深く読みました。山梨では地区大会が300から500、県大会が700のキャパ、2回出た関東は1200。もともと2人から5人ほどの地味な芝居ばかりやっていますので、だんだん手応えがなくなっていくのを指をくわえて見ていることに、ちょっとしたいらだちを覚えていました。
 もともと何をしたいか、といえばある場の空気を表現することであり、呼びかけて応えないそのあいだの気まずさやとまどいのなかにその人そのものの出現を待っているようなものです。幸か不幸か山梨は百花繚乱の関東!にあり、いっそ裏関東大会を100人のキャパの会場でやろうかと話し合ったことがあります。
 自作の脚本を紹介するページを先日UPしました。ぜひ感想を聞かせていただきたく、URLを記しておきます。失礼しました。
 
 

http://suchanga.com

 

そして船は行く−ノート−

 投稿者:古田 彰信  投稿日:2003年 4月 2日(水)03時53分30秒
   極論すれば、表層のストーリーには、僕はあまり関心がない。僕が関心があるのは「構造」である。演劇的構造を用意するためにこそ、ストーリーを紡いでいるといって過言ではない。
 どうしてそういう考え方になるのかを補足しておくと、(この掲示板では何度も書いたことだが)僕は「演劇でないと、効率的に伝えられない表現」が、濃厚に感じられる作品かどうかを、評価のもっとも重要な基準にして作品を作っているからだ。
 映画や小説でやった方が、効率よく伝達できるのなら、わざわざ演劇でやる必要はない。
 演劇がもっとも効率的に表現することのできるのは、「関係性」と「その連続的変化」であろう。舞台にふたりの人物を登場させ、フッと視線をかわすだけで、ふたりの関係は、瞬時に観客に了解される。同じことを小説という形式で表現しようとすれば、何十語何百語を要するかもしれない。刻々と変化する「関係性」と「その連続的変化」を、他のジャンルの芸術で伝達するのは、とても難しいだろう。

 もちろん、演劇だからといって、そうした伝達が無条件で効果的におこなえるとは限らない。別役実は、「何もないこと」というエッセイのなかで、石膏デザインに例をとり、デッサンの背景を塗りつぶすことについて、全体がきれいに仕上がる反面、本来は「造型的」であってしかるべき石膏デッサンの仕事が、「文学的」(「説明的」)になり、「特殊化された分だけ広がりを失い、言ってみれば貧しく」なると指摘した。
 背景を塗りつぶすことは、「石膏像のそれぞれの面が、いかにメカニックに組み合わされているかというその精巧さよりも、それがアトリエのどの部分に置かれているかという、言わば雰囲気のようなものを重要視する」ことである。つまり、「その置かれた空間の雰囲気を特殊化すればするほど、デッサンとしての精度はごまかせる」のである。
 今回、「そして船は行く」では、背景を塗りつぶさない舞台作りを心がけた。舞台は海の上、登場人物は記憶を失い孤島に取り残されているかのようだ。そしてドラマの背景も必要以上に語られない。照明は舞台中央に集められ、周囲は暗い。内容と形式を一致させることによって、「説明的」ではなく「造型的」に舞台を立ち上げ、関係が連続的に変化する自由度の高い芝居を創ろうとした。それがうまく行っているかどうかは、観客のみぞ知るというわけである。
 しかし、一般の観客は、ストーリーを見て芝居を評価する。ストーリーが面白くなければ、その芝居は面白くないものとして見なされる。演劇的な「構造」などについて、多くの場合、観客は一顧だにしない。しかし、別役に言わせると、無闇なストーリー展開こそ、芝居を特殊化へと向かわせ、芝居を演劇から遠ざける大きな原因となるものなのである。
 作り手と観客のズレは、案外そんなところにある。

 斎藤先生、県南の学校への着任、おめでとうございます。
 僕は、背景の中に自らを埋没させる教師としてのあり方ではなく、教師と生徒の関係を主体的につくりあげていける教師であればいいなと思っています。別役流にいうと、教師と生徒の関係も「造型的」であるべきだと思います。
 

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