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公開終了が近い。ネタバレ込みの詳細な映画評。
リアルなフル3DCGアニメーションで描くクリスマス映画。彼の地では有名な絵本の映画化。英語版は、名優トム・ハンクスが、何役もの主要な声の出演を兼ねた。クリスマスの夜、少年は、家の前に着いた北極行き列車に乗って北極点をめざす。
「幻想的な列車」という設定で、僕がすぐに思い出すのは、「銀河鉄道の夜」である。僕は、富岡西高演劇部で「破稿 銀河鉄道の夜」という作品に取り組んでいたこともあって、「ポーラー・エクスプレス」は、「銀河鉄道」なのか、という浅薄な興味で、この作品を観た。
フル3Dアニメの巧みさは、多くの評者が指摘している通り。妙に生々しい表情の動きなど、この手の技術の進歩には目を見張るものがある。幻想の中に立ち現れる列車が、CGという魔法によって、スクリーンの中に立ち現れるという趣向は、CG特有の画の気持ちワルサはともかく、内容と手法が一致している点では、秀逸だと思う。僕は、アイマックスシアターで観たかった。
映画の三分の二は、北極を目指す列車と少年たちの冒険。少年たちは、試練(通過儀礼)を経て、北極点にたどり着く。そこは、エルフの国。そこで、サンタクロースに出会った少年は、子供の代表として選ばれ、サンタクロースから直々にプレゼントをもらう。誇らしい主人公の少年。この経験のおかげで、少年は、サンタクロースを大人になっても信じ続けることになる。
旅は、成長のアナロジーとして用いられることが多いが、ここではそうではない。北極は「エルフの国」ならぬ「神の国」、サンタは「キリスト」、プレゼントは「恩寵」であり、ラスト、丁寧にも車掌は少年の切符に「信じる」と刻んでくれる。これは、あからさまな信仰礼讚だ。クリスマス映画だし。「ポーラー・エクスプレス」は、「銀河鉄道」ならぬ「キリスト教鉄道」なのだ。
もちろん、ここには「銀河鉄道の夜」の無常・輪廻・仏教的世界観は見当たらない。「銀河鉄道」は、霊界とこの世の境をフラフラと漂うように走るイメージ。松本零士のマンガ(「銀河鉄道999」)も、ネコの「銀河鉄道の夜」も、我が国の幻想鉄道には、レールは続いてない。だが、「ポーラー・エクスプレス」は、常にレールを上を走り、そのレールは、北極まで確固として敷かれている。それこそ、理性に根付く近代合理主義か。はたまたキリスト教信仰の強固さか。ともかく、「ポーラー・エクスプレス」は、常にどっしりと、その走りは頼もしい。
ただ、この映画、「子供の成長」や「懐疑の念」を否定しているかのように見えるのも確かだ。ある年齢に達すると、サンタクロースを信じなくなるのは、当たり前の話。それが成長というものだ。だが、この主人公の少年は、奇跡に出会い、信仰を獲得する。これでは、無辜=善であり、成長=悪、ということになりはしないか。子供の心をいつまでも持ち続けるのが善であれば、コアなオタクは聖人だ。
子供の成長を否定してしまっていいわけはない。その点、僕はしっくりこない。キリスト教の論理で作られた物語が悪いのではない。辻褄が合わないのが問題なのだ。
言い換えれば、「ポーラー・エクスプレス」はキリスト教の「洗脳列車」に見える。そもそも、宗教とは、そうしたものなのだが、そう見えてしまわないようにしないと、異教徒である僕には、チョイとツラい。
http://www.polar-express.jp/
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